シークレットサンタ
毎年この日になると思い出す。
感動の秘話をシェアします。
長文だけど、最後まで読んでくださいね。
メリークリスマス
大好きな感動サンタクロースの話をシェアします。
アメリカでクリスマスになると、貧しくて困っている人々に現金をプレゼントする男性がいた。
彼はいつしか「シークレットサンタ」と呼ばれるようになった。
「秘密のサンタクロース」として名前を明かしたのは中西部ミズリー州のカンザスシティーの郊外に住むラリー・スチュワートさん(58)の話です。
「ほかの誰かを助けることこそが、私たちの生きる目的なのだ」
1971年11月、23歳のラリーは会社が倒産し路頭に迷っていた。
あまりの空腹に耐えきれず、ついレストランに入って取りつかれたように注文してしまった。
請求書を出されようやく我に返り、お金を持っていないことに気づいた。
そして、なんとかその場を取り繕うとポケットの中を探すフリをしながらも、警察に突き出されても仕方がないと思っていた時だった。
一人に男性店員がラリーの横でしゃがんで、20ドル札(現在約2400円)が落ちていたと渡してくれたお陰で、彼は会計を済ませることができました。
だがこの人生最大の苦境に偶然手に入れた20ドルが、後の彼の運命を変える重大なカギとなる。
1972年、運よく拾った20ドルの残りを旅費にカンザスシティに移り住んだラリーは、警備関係の会社を起こし懸命に働いた。
結婚し子供も生まれたラリーは幸せな生活を手に入れたかに見えた。
1977年12月、不況で会社が倒産しその日の食事代にも困るほど追いつめられた。
貧しさのせいでラリーは我を忘れ、銃を手に銀行に入り、強盗を働きそうになった。
だが、20ドル札を見てふと我に返り銀行強盗をすんでの所で思いとどまった。
改心したラリーは1978年、妻の兄から援助を受けてセールスマンとして懸命に働いた。
だが彼はまたしても試練を与えられる。
1979年12月、会社経営が思わしくないということで、ラリーは解雇されてしまったのだ。
もう助けてもらうあてがないと途方に暮れていた時だった。
ふと目に付いた売店に立ち寄り、ポップコーンを注文した。
店員の女性は暗い表情で、違う商品とおつりをラリーに渡した。
ラリーは彼女が困っているのだと思い、お釣りの中から20ドル札をプレゼントした。
彼女は受け取れないと言ったが、ラリーはクリスマスプレゼントだと言って手渡した。
この日はクリスマスだった。
女性は嬉しそうに礼を言った。
その笑顔がラリーを明るくし、彼は思いも寄らない行動をすることになった。
そのままラリーは銀行に行くとなけなしの貯金を引き出し、白いオーバーオールに赤い服とベレー帽という姿で街に繰り出した。
そして困っているような人や貧しい人に20ドル札をクリスマスプレゼントとして手渡したのだ。
シークレットサンタが誕生した瞬間だった。
20ドルは大金ではなかったが、困っている人々にとっては大きな助けとなりよろこんで受け取ってもらえた。
それがラリーの人生にも思わぬ影響を及ぼすことになる。
家に戻ると、妻から銀行にお金が残っていなかった聞かれた。
ラリーは落としてしまったと答えた。
すると妻は怒るどころか、
「仕方がないわね、でもあなたは幸せそうね」
と微笑むだけで文句を言わなかった。
翌年の1980年、ラリーは友人と長距離電話の会社を設立し、懸命に働いた。
そしてその年のクリスマスにも道に立って人々に現金をプレゼントする活動を続けた。
そしてその金額は少しずつ多くなっていった。
不思議なことにシークレットサンタとなって施しをすればするほど会社の業績が上がり、長年の切り詰めた生活から抜け出し家族のために家や新しい車を買えるまでになった。
ラリーの妻も町中でシークレットサンタの噂を耳にするようになった。
彼は家族にも行っていなかったのだ。
彼はそれから一年も休むことなくシークレットサンタの活動を続けたのだが、
9年目の1987年12月、ついに妻にシークレットサンタがラリーであることがわかってしまった。
すまないと謝るラリーに、妻は
「素敵なことじゃない。これからはもっと節約してたくさんの人を助けられるように協力するわ」
と答えた。
以後、家族もラリーの活動を知って陰から支えることになった。
1995年、地元ではすっかり有名になっていたラリーは匿名を条件に取材に応じた。
カンザスシティ・スター紙のマグワイヤー記者は、彼も家族も一切表舞台に出ようとしなかったと話す。
しかし報道されてから、シークレットサンタの正体への関心は更に高くなった。
一方ラリーは多くの人に感謝されるにつれて、ある人物に会いたいという思いが募ってきた。
そして1999年12月、ミシシッピ州のトゥペロという小さな町のある男性宅を訪れた。
その男性とは、シークレットサンタの生みの親だった。
28年前の1971年、一文無しだったラリーが落ちていた20ドルに救われた日のこと。
本当の落とし主が現れたら困るので逃げるように店を後にしたラリーは、我に返って真実に気がついた。
20ドルは、落ちていたものとして男性店員が彼にくれたものだったことに。
男性店員はテッド・ホーンといい、当時のことを思い出した。
ラリーは彼がしてくれたことをいつか誰かにしようと思ったのだと話した。
そしてテッドの20ドルがなかったら刑務所に入っていただろうという。
自分の人生を正しい方向に導いてくれたお礼にと、ラリーはテッドに1万ドル(約120万円)の入った封筒を渡した。
受け取れないというテッドに、ラリーは自分が今あるのはあなたのおかげだと引かなかった。
当時テッドは、警察に突き出すのではなく、自らの過ちに気づき、他人へのやさしさを知って欲しいと思って20ドルを差し出した。
それをずっと覚えていて、サンタ活動を続けてことには頭が下がるとテッドは話している。
テッドさんはラリーさんから渡された1万ドルを、近所の病気で困っている人たちや生活に苦しい人たちのために使ったという。
人を思いやる気持ちは健在だった。
そしてサンタ活動は全米に広がった。
2001年には世界貿易センタービル爆破事件のあったニューヨークに行き、ホームレスや職を失った人を中心に2万5千ドルを配った。
2005年にはハリケーンで破壊的な被害を被ったミシシッピ州を中心に7万5千ドルを配り、27年間で配った総額は150万ドル(約1億8千万円)になった。
だが昨年、シークレットサンタがついにカメラの前に現れ正体を明かした。
彼は昨年4月、食道がんのため治療しなければ1カ月生きられないと宣言されたのだ。
正体を明かしたのは、自らの命の宣告を受け、身近な人への思いやりを広げてほしいというメッセージを送りたかったからだろうと、マグワイヤー記者は話します。
その影響は大きかった。
2日間で7000通もの手紙やメールが彼のもとに届いた。
大半は自分もシークレットサンタになりたいというものだった。
その年のクリスマスも彼は病気を押してサンタ活動を行った。
そのお陰で多くの人が笑顔でクリスマスを迎えられた。
2013年1月12日、ラリーは58歳で静かにこの世を去った。
それでも彼の笑顔と優しさは数え切れないほどの人の胸に永遠のサンタとして刻まれただろう。
生前ラリーは、シークレットサンタ協会を設立、会員資格は少なくとも1回他人への親切な行為を行うこと。
今でも世界中から登録の申込が後を絶たない。
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